最近、移動中はiPodに録音したラジオを入れて聞いているし、家にいる時はゲームをしている。まったく暇のない人生だ、それを幸福と定義するならば、幸福かもしれないが。ただ、インプットが多すぎる気がする。
テレビを見なくなって、ずいぶんと経つ。感じることは、インプットの量だ。テレビを見ているとき、どんどんデータがインプットされていく。ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず、と言った具合か。大量の情報が流れ、処理は追いつかず、自分では何も考えることなく、新しい情報に上書きされてしまう。そうやってどんどん情報が上書きされ、最後には自分で考えるメモリが確保できなくなり、マスメディアの言ったことを裏づけもなく鵜呑みにしてしまうようになるのだろう。
インプットが多いことは悪いことではない。それだけの量が飲み込める容量を持っているということだ。しかし、それが処理されず、自分で考えることにメモリを使えないのなら、そのインプットにどれだけの意味があるだろうか。料理を大量に胃に詰め込んでいるようなものだと僕は思う。口にしたその少量の情報から、どれだけ楽しめるだろうか。
もっとコントロールをしたい。己のコントロールをしたいと思っているのに、面白いほうへ堕ちていきやすいのは、生き物としての性質だろうか。おいしい料理ほど食べ過ぎる。面白いことほど遊びすぎる。つまりそれは、コントロールできていないということだ。
"2007-08-29 - k4の果てな (via joriko)
胃潰瘍になった。歳をとったら腹八分目くらいの食事をすべき。と医者に言われる。いやもっと歳をとったら六分目でもいいくらいですよ。と言われた。
情報もそうなんだろうなぁ。インプットが多すぎてアウトプットしていない今を恥じる。
年に何回か、ネットに接続しない期間(2ー5日)を設けているけど今年もそろそろネット断食をしないといけないな。(その期間で、考察し再度考え練り直し次のステップをどうするか?。の再構築の日を送る。(笑 )
(maconnから)
胃潰瘍になった。歳をとったら腹八分目くらいの食事をすべき。と医者に言われる。いやもっと歳をとったら六分目でもいいくらいですよ。と言われた。 情報もそうなんだろうなぁ。インプットが多すぎてアウトプットしていない今を恥じる。...